こんにちは、fruitsloverです。毎日暑いですね🥺
今回から、私がうつ病と診断される前のことを振り返っていこうと思います。うつ病になるのに、何か一つの事柄だけが要因だとは限りません。私がうつ病になったのには、大きく3つの要因が関連していたと思います。今日は、その3つのうち、1つ目のポイント【夫のうつ病と家事・育児の負担】についてまとめていこうと思います。
夫の体調変化と発症の兆し
うちの夫は子どもたちが大好きで、家にいるときは子ども中心の行動をとるのが当たり前でした。共働きだから、家事も育児も二人で協力し合ってきたし、ケンカもするけど私と子どもたちのことをとても大切にしてくれる。仕事にも熱心で真摯に取り組む。そんな人でした。
最初の変化
そんな夫が、ずっと風邪っぽさが治らずイライラしていたり、家事育児よりも自分の趣味の時間をとるようになったり、食事中に口数が減ったりと、「なんか機嫌悪いのかな?」と思うような姿をよく見かけるようになりました。それでも、イライラしながらも仕事は休まず、残業したり家で資料を読んでいることもありました。___今振り返ると、この頃から夫の中で“家庭と仕事の両立ができないほどの状態”が始まっていて、試行錯誤しながら必死で仕事を続けていたんだと思います。しかし当時の私は、家事育児の負担が徐々に自分に偏ってきていることを不満に感じるばかりで、夫の苦しさの真実に気づけませんでした。
診断を受けたときのこと
新型コロナウイルスで世間も職場もみんなピリピリしていた頃です。あまりに長い体調不良を何とかしたくて、二人でいろんな病院を転々とし、原因を突き止めようとしていました。でも、どの科でもはっきりとした病名がつかず、そのため対処療法的な薬を処方してもらうのみで解決まで至ることもできず、疲労感といらだちが募るばかりでした。最終的に、藁にもすがる思いで心療内科クリニックにたどり着きました。___のちに読んだ本によると、うつ病になった際、一説ではその人の体の弱い部分に身体症状として現れることがあるそうで、熱が出たり体が痛かったりといった身体症状も実はうつ病による初期症状だったのかもしれません。残念ながら、お医者様は“自分の分野の疾患にのみ特化している”方もいるため、「この科では異常は見つかりませんでした」となっても「うつ病かもしれませんね」と可能性を示してくれることはなかったです。そのため、たくさんの受診や検査を繰り返し、うつ病の治療にたどり着くのにかなりの時間を要してしまいました。
生活にどんな影響が出たか
夫が休職することになり、「家事・育児にまつわることは私がやらなければ」と自分を鼓舞して頑張り続ける日々が始まりました。毎朝の子どもたちの準備・送迎・習い事、買い出し、食事の用意、洗濯などなど…出社前も帰宅後もずっと気を張っていたのを覚えています。また、「夫が安心して療養できるようにしなければ」とも思い、マッサージをしたり食事を日中の夫用に準備したり常に笑顔を心がけて行動していました。療養期間が長くなるにつれて、夫が個室に籠もってしまい状態が分からない時があればすごく不安になったり、夜間も夫が眠れているか確認したくなったり、日中私の外出中に自殺企図など変な気を起こしていないか心配になったり…。___その結果、家庭に安らげる場所はなくなり、日中は仕事に集中することで気を紛らわそうとするようになっていきました。
家事・育児のバランスの崩れ
夫の調子が少し良くなると、夕食は夫が作ってくれるようになりました。ただ、今までのように段取りよく作業したり子どもと会話しながら調理をするといったダブルタスクは、うつ病の夫にはとても難しいことになってしまい、イライラしたり落ち込んだりする様子もありました。その姿を見て、夫がイライラしないように先回りして整えなきゃ…とピリピリした気持ちになっていました。
「私がやらなきゃ」の気持ち
自分が追い込まれていっている自覚はありましたが、「家のローンもあるし、仕事だってそんな簡単に穴を開けてはいけない」と、働き方を変えるという考えには至りませんでした。また「子どもたちの日常は守らなければ」と、習い事や行事ごとにも一人で対応し続けました。遠方に住む実両親や義両親にも余計な心配はかけたくなくて、「私がやるしかないんだから!」と、一人で奮闘していました。
助けを求めづらかった理由
もし、自分の周りに私と同じ境遇の人がいたら、「あなたも少し休んだほうがいいんじゃない?」「何かできることがあったら言ってね」と声をかけていると思います。でも、自分事となるとそんな柔軟に“休む”“助けを求める”といった選択肢は浮かんできませんでした。“夫の病前の生活と同じ水準を保つ”ということに盲目的に固執していたのかもしれません。
支える側として感じたこと
不安や孤独感
夫の受診は、夫と主治医の意向もあり私は立ち会っていませんでした。そのため明確な治療方針を知るすべが無く、今どの程度回復しているのか、そもそも今の夫の能力でちゃんと主治医に現状を伝達できているのか、よく分からないまま見守っていたのでとても不安でした。家族と一緒に暮らしているはずなのに、一人きりでゴールの見えない暗闇を走り続けているようでした。
夫への気持ち
指標もないまま支え続けていると、夫に対してポジティブな気持ちを持てない時期もありました。でも、子どもたちのためにも何とか家族が壊れないよう、手帳にポジティブな言葉を書きつけたり自分の優先順位を書き示して自問自答したりと、必死に自分の心を繋ぎ止めていたような気がします。そうしていなければ頑張れないと思っていたのかもしれません。
様々な工夫の行き詰まり
宅配ミールキットを始めてみたり、テイクアウトの機会を増やしたりと、家事の負担を減らしてみようと試みましたし、掃除や整理などは目を瞑ろうとしていました。また、自分の時間を無理やり作って銭湯に行ってみたり、マッサージやエステにいったりと、自分を癒す工夫も試してみました。しかし、長期化していくにつれ、疲労感や孤独感は確実に蓄積されていきました。
今、振り返って思うこと
こうして文面にしてみると、日々の生活をひたすらこなしていくことで何とか生きていた、という感覚が思い出されました。『苦しい・つらい』といった感情を認められず、必死で打ち消しては自分に鞭打ち走り続けていたのだと思います。立ち止まったら立ち上がれない気がして…。
あのときの自分に伝えたいこと
でも、自分の感情を殺して耐え続けることを〝工夫〟と思っていたのは間違いだよと言いたいです。自分の気持ちを蔑ろにし続けて、心と体の悲鳴を聞こうとしなかったツケは、ちゃんと自分に返ってきました。当時は「うつ病は治る病気だから、いつか必ず終わりは来る」と闇雲に信じようとしていたのです。だけど、その方法は間違っていました。仕事を休むことも人に頼ることも、決して悪いことじゃないのだと、教えてあげたいです。社会は自分が欠けてもそれなりに回っていくのです。
同じ状況にいる人へのメッセージ
うつ病に限らず、家族のケアをしている人は誰しも、私と同じ悩みや苦しみに直面する時があると思います。そんな時、一度立ち止まり、【耐え忍ぶことは解決策にはならないよ】と自分に問いかけてほしいです。一時しのぎを繰り返していくことは自分の命を削っていくことなのだと、真剣に受け止めてほしいです。自分の人生を大切にできるのは、自分なのです。
次回のテーマ
今日の記事はいかがでしたか?次回は、2つ目のポイント【親との関係性から受けていた影響】についてまとめていこうと思います。
読んでいただき、ありがとうございました🍀
