こんにちは、fruitsloverです🍎
最近急に朝晩冷え込むようになりましたが、みなさん風邪などひいていませんか?
今日も【親との関係編】お付き合いください♡
さて、前回は私の家族の紹介と親との関係性を紹介しました。
今回は、その境界線の薄い親子関係の中で、どんなことが起きていたのか、実際の場面をいくつか振り返って整理していこうと思います。

母に相談した日の衝撃
結婚して1年も経たない頃だったと思います。
ちょっとしたことで夫とケンカになってしまったことがありました。
心細くなった私は、誰かに話を聞いてほしくて、母に電話をしました。
母との電話で心を落ち着かせたかった私
私は愚痴を聞いてもらって気持ちが落ち着けば、少し前を向けるかもと思って母に電話をしました。
よくドラマやマンガであるような、娘の気持ちを優しく気持ちを受けとめるような言葉を期待していたのかもしれません。
または、ちょっとのケンカでナヨナヨしてしまっている私の背中をシャンと正してくれるような、愛ある激励が欲しかったのかもしれません。
「結婚を許すべきじゃなかった」母からの言葉
でも、母から返ってきた言葉は、「あなた達の結婚を許さなければ良かったかな?」という予想とは違う問いかけでした。
「夫くん、本当に大丈夫なの?」
「こんなんで本当にこれからやっていけるの?」
母から出てくる言葉は、私の気持ちを落ち着かせるどころか不安にさせるものばかりでした。
慰めるはずが、いつの間にか母を慰めていた
「お母さん心配だわ⋯戻ってくることにならない?」と離婚の心配までされてしまいました。
そうして、最終的には、心配だという母の不安を私がなだめなければならなくなりました。
なぜ私が母の不安を落ち着かせなければならなかったのか
母は母で、私を心配しているつもりなのでしょう。
でも母の言葉は、私の気持ちに寄り添うものではありませんでした。
人生の先輩・妻としての助言など、心の支えになるような言葉を期待していた私は、なんとも言えないモヤモヤした気持ちになっていました。

車や家の購入にも口を出す両親
私は、両親が私のことを未だに小学生の子どもであるかのように過度に心配していると感じる場面が多々あります。
そのうちのひとつが“お金の使い方”です。
結婚祝いのお金の使い道への口出し
結婚の際にお祝いとしていくらかお金を援助してくれました。
その時はありがたいなと思っただけでした。
その後、子どもが生まれてより便利で安全な車に乗りたいと、ミニバンを購入したときです。
「そんなことに使わせるためにお金を渡したんじゃないよ」と忠告されました。
母にとっては、車の買い替えが無駄遣いのように感じられたのかもしれません。
でも、私たち夫婦の思いや考えを一方的に否定され、理解してもらえなかったという棘は、その後も心に深く刺さっています。
「近くに住む方が良い」土地販売のチラシを渡された日
また、「子どもを育てるにも歳とった親をみるのにも、近くに住んだ方が良い」と、実家周辺の不動産の情報を度々渡されました。
確かに、祖母が近くに住んでいたおかげで私は祖母に世話してもらっていましたし、祖母の通院などの際には両親が送迎をしたりと、近くに住むことのメリットもありました。
でも、近くだったからこそ母と祖母の嫁姑問題もずっと見てきたこともあり、近くに住むことが必ずしもメリットだけではないようにも思いました。
両親の意見も取り入れなければ…夫との意見の相違
でも、当時の私は「両親の意見は正しい」と盲目的に信じていました。
だから、ミニバンを買った金額や預金の残高などを説明すれば親は納得するかと考えたり、実家と職場の両方へのアクセスを考えて家さがしをしてみたりしていました。
そのため、夫と意見が合わずにぶつかることも多々ありました。

夫婦のケンカの根っこにあった「親最優先」の思考
今でこそ、私が当時どういう思考で行動していたかを客観的に振り返れています。
が、当時は夫とケンカになるたび、『どうして夫は私の気持ちを汲んでくれないんだろう』『親がこう言っているんだから、考慮するのが当然なのに』という気持ちになっていました。
両親を安心させる選択が最優先だった
それは、私の中で両親を安心させることが何よりも優先されていたからだと、今では分かります。
「子は親を安心させる行動をとらなきゃいけない。
そのためには、親の言葉はちゃんと汲み取って生きていかなきゃ。」
無意識にそう思っていたため、肝心の“夫婦として足並みを揃える”ということが二の次になってしまっていたのです。
この思考の癖がケンカの原因になっていた
でも、無意識レベルで思っていたため、何度夫から指摘されても、この思考の癖は治すことが出来ませんでした。
___今振り返って考えると、私がもっと早くに“夫との新しい家庭”を中心においた思考にシフトできていれば、夫とのケンカももっと減っていたのではないかと思います。
気づいていなかった自分の優先順位のズレ
私はうつ病になりカウンセリングに通う中で、やっと、自分の意向の癖や両親との境界の薄さを自覚できるようになりました。
気づき認めることで少しずつ、自分の認知のズレを修正していく努力を始めることができました。

母の不安が強くなった転機
母はもともと不安の強い人だったのですが、祖父が突然亡くなって、認知症の祖母の世話をするようになってから、一層不安が強くなりました。
心不全で突然この世を去った祖父
祖父と祖母は、高齢者向け賃貸住宅で暮らしていました。
老後、娘の世話にならなくてもいいようにと、考えたうえでの選択でした。
そんな祖父は米寿を迎える前に、心不全で亡くなりました。
認知症の祖母、葬式の手配、法要…すべてを抱えた母
祖父の死は本当に突然だったので、母はさぞかし動揺していたのだと思います。
葬儀の手配や法要、今後の祖母の生活など、決めること考えることが一気に舞い込んで、心の余裕を失っていました。
「私がすべて背負わなければ」負のスパイラルに入った母
祖父が亡くなったとき私は育休中だったので、母が祖母の受診に付き添ったり生活環境を整える時に、私も出来る時は立ち会ったり相談に乗ったりしていました。
「少しでも母の力にならなきゃ」そう思わせるほどには、母の不安といら立ち、疲労感はにじみ出ていました。

母の愚痴を聞くのが私の「役割」になった
そうして、育休が明けてからも定期的に電話やLINEをして、母の愚痴や相談を聞くのが私の役目になっていきました。
「全然連絡くれないけど元気ですか?」
母はもともと自己肯定感が低く、自虐的な話し方をすることもよくありました。
そして、この祖父の死をきっかけに心の安定やゆとりを失ったためか、トゲトゲした言葉や嫌味を含んだ物言いがより強くなったように感じます。
傷つきながらも突き放せなかった私
フルタイムで働きながら子育てや家事にバタバタしていた私は、それでも出来る形で父母の負担を減らさなきゃと手を尽くしていました。
でも、1時間も2時間も電話で話を聞いても、時間を作って孫と合う機会を作っても、母の心は満たされず、必ずと言っていいほどチクチクトゲトゲを浴びていました。

今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
もともとの母の不安の強さと環境要因とが重なって、母の心のバランスが悪くなったのかもしれないと、整理していて感じました。
そしてその不安定さを埋めるために、母が私を求めていた。
私自身も、その要求を満たすことが娘の役割だと信じて疑わず、徐々に自分自身を削ってでも応えようとしてしまっていた。
というのが、私たち親子の陥った負の連鎖だったように思います。
次回は、コロナ禍により、思うように両親の気持ちを満たせなくなっていったことなどまとめてみようと思います。
私の体験談が、少しでも誰かのお役に立てますように・・・🍀
