うつ病体験談

夫のうつ病と家事育児の現実 【家庭環境編1】

こんにちは、fruitsloverです🍇

みなさんは、無印良品、よく行きますか?

私は近所に無いのでたまにしか行けないんですが、だからこそ行った時は「貴重な機会!」と嬉しくなっちゃうんですよね🥳

最近の私のお気に入りは“キャラメルポップコーン”です🥰(え?王道??)

390円で買えちゃう大袋(161g)のポップコーンがすっごい美味しくて、ノンストップで食べれちゃいます♪

食感の違う2種類のポップコーンが入っているんですが、キャラメルのかかり具合が絶妙なんです😚重すぎず、少なすぎず・・・絶妙!!(大事なことなので2回言いました❤️)

大袋だと食べ飽きちゃうかと思ったのに、もう何回もリピ買いしています😊

みなさんも、オススメのお菓子があったらぜひ教えてください!

さて、前の記事ではかかりつけ医を変える決心をし、Bメンタルクリニックに転院しました。

この転院によって、毎回の受診へのハードルはかなり下がりました。

薬のことや生活についてなど、安心して先生に相談できるようになりました。

ここまで、発病から初受診、カウンセリング、転院と、時系列にそってお話してきました。

ここからは、私がうつ病になった4つの大きな要因についてを、じっくり深堀りして整理していこうと思います。

主にカウンセリングでK先生に気づかせてもらったことが中心になりますが、他にも本を読んだり夫と話したりする中で気づいたことも書いていこうと思っています。

まずは、自分のベース基地である家庭環境について、書いていきますね。

【第1回:夫のうつ病と家事育児の現実】

夫のうつ発症と家庭への影響

子どもたちのことが大好きで、家族で過ごす時間をとても大切にしていた夫。真面目で仕事にも一生懸命な彼でしたが、診断がつくだいぶ前から少しずつ変化がありました。

でも、日常が日常としてまわっている時は、その変化を危機として受け止めることはできませんでした

発症のサインと気づいたきっかけ

夫の場合、職場で中間管理職となったぐらいから、少しずつ家での生活にも変化が現れていました。

家庭での役割がまわらなくなる

「仕事を家庭に持ち込まない」「子どもたちとの貴重な今を大切にする」と、家庭をとても大切にしていたのに、難しい顔をしたままひとりでTVを見ていたり、私が家事のフォローしていてもお礼も言われないことが多くなりました。

当時は明確に家事分担はしていませんでしたが、食事・掃除関連は私が、洗濯関連は夫がメインでやっていました。

しかし、夫が家事をやろうとする姿は、目に見えて減っていきました。

でも、機嫌が悪くなると口数が減るのは前からだったので、「最近口数減ったし表情も険しいな⋯私、何か怒らせたかな⋯」と、当時の私は自分に非がないかを必死で思い出そうとしていました。

睡眠の質が落ち、疲労が抜けにくくなる

また、疲労が抜けにくくなっていたようで「午後の仕事に支障が出るから、出勤時も昼休憩中に昼食も食べずに寝てる」と話すようになりました。

夜間はなかなか寝付けず、夜遅くまでボヤーっとTVを眺めていることも増えました。

イライラしやすく、子どもの声さえ刺激に⋯

少しずつ、でも確実に、体調の悪さは彼の中で蓄積されていきました。

家庭でもイライラしやすく、休日の昼間さえも、遊ぶ子どもたちの声に昼寝を邪魔され怒ることもありました。

この時点でも、私たちふたりはうつ病を疑うことなく、「なんだか最近上手くいってない気がするな⋯」と思っていました。

私の“受け取り方”の歪み

今思えば、予兆はこんなにも生活の中に現れていたのです。

一方で、当時の私は「彼の不機嫌は私のせいかも」と歪んだ受け取り方をしていたり、「共働きなのに彼ばかり休んで、仕事人間になってしまってる」と被害的に受け止めてしまう傾向がありました。

それは後々カウンセリングで”認知の歪み”として私の大きな課題だと気づくことになるのですが、当時はそんなことは全く自覚がありませんでした。

振り返って思うのは、私のこの歪みも、夫のうつ病に気づくのを遅らせていた一因だということです。

家族でうつを抱えるということ

結局、夫は高熱が下がらないという身体症状が出てやっと、立ち止まることができました。

子どもが学校に行きたくなくて「お腹が痛い」と感じることがあるように、うつ病も、体の弱い部分に身体症状として表面化することもあるそうです。

たらい回しという苦しみと不安

身体症状が続くため、内科だけでなく大きな病院にもいくつも足を運び、たくさん検査を受けました。

それでも確固とした原因は見つからず、「ここの科では異常は見つかりませんでした」という返答しか得られませんでした。

そのたびに、“誰も俺のことを救ってくれない”と夫は落ち込み、不安も強くなっていきました。

休職中の夫を一人にする不安と、自分の仕事への責任感との狭間

うつ病だという結論が出るまで、日に日に心細さが強まっていく夫。

それでも私は、当時フルタイム勤務していたため、仕事を休んで全面的に夫をサポートするという決断はできませんでした。

この点については、他の“うつ病家族”のみなさんがどうやりくりしているものなのか、今でも知りたいところです。

子どもが体調不良になり学校を休めば、多くの親御さんは仕事を休んで病院に連れて行くでしょう。

では、大人である家族がうつ病の時は??

どの程度寄り添えば良いのか、自分のリズムを保つべきなのか、仕事に穴を開けても許される状況なのか……

結局、当時の私は答えを出せず、目処の立たない状況の中で、仕事も夫の看病も中途半端になる歯痒さを感じていました。

生活リズムや家事分担への影響

夫がうつ病として服薬を始めても、状況はすぐには好転しませんでした。

睡眠の質の悪化とマイナス思考

夫は相変わらず睡眠の質の悪化で苦しそうでした。

睡眠剤を服用しても眠れない日もあり、夫の生活リズムは乱れていきました。

まとまって休めるようになるまで何ヶ月もかかりました。

その間は思考も悪い方へ悪い方へと向くようで、被害的になったり孤独を感じたりと、負のスパイラルに陥っていました。

心配する気持ちも、消せないストレスも、どちらも本当

眠れない夜は、夫をマッサージして少しでも眠れるようにサポートすることもありました。

子どもを寝かしつけてから、「心配しなくて大丈夫だよ」と声をかけながらマッサージする。

その時間は、心配と不安に胸がぎゅうっと締め付けられるような苦しさと、自分も疲れて早く寝たいというストレスと、夫が今日もなんとかコミュニケーションをとれる状態なんだという安堵と⋯ぐちゃぐちゃな気持ちを抱えていました。

育児と家事の負担増

夫の療養期間が長引いていくほど、終わりの見えない不安と色々なことがおろそかになっていく後ろめたさが募っていきました。

同じような経験がある方は、どうしていたんだろう⋯?と不思議に思うほどです。

子どもとの時間の確保の難しさ

子どもたちには正確な病名は伝えず、「今パパは病気で休んでるから静かに遊んでね」というように、その都度伝えるようにしていました。

パパと遊べないという状況

以前の夫は、休みの日に子どもたちを公園に連れ出したり、長男とふたりでスキーに行ったりするような、子煩悩な人でした。

そんなパパが、今は部屋から出てこられない⋯一緒にいても全く活気がない⋯

子どもたちが夫をどう思っているか、この子達の心の成長に影響しないか、心配は増えるばかりでした。

それでも子どもたちの生活は続いている

夫が戦力外になっていようが、私の戸惑いが深まろうが、子どもたちの生活は止められません。

朝は子どもを準備させ、小学校や保育園に送り届け、そのまま出勤。

仕事をして、仕事の合間に夫に電話して生存確認を兼ねて状態確認。

退勤後は子どもたちを迎えに行き、夕食作りや入浴、洗濯をして、寝かしつけ。

当時は、退勤後にカントリーマアムを口に押し込み、無理やり自分に気合を入れてお迎えに走っていました。

そのくらい、私にとってワンオペの日々は大変なものでした。

母の役割、父の役割

我が家は男の子二人の兄弟なので、父である夫の存在は子どもたちにとって、憧れでありライバルであり友達であり師範でもありました。

その役割は、とても私が代わりに担えるものではありませんでした。

せめて母として、甘えさせてあげたいという思いはありましたが、果たしてどの程度子どもたちに優しくできていたか、あまり自信がありません。

今振り返ると、ついイライラと当たってしまう日も少なくなかったと思います。

家事が回らないときの焦りと罪悪感

料理好きな母の影響で、食事の準備は私にとって“母親の象徴”のようなものでした。

『手作りの料理をあたたかいうちに食べさせてあげる』という、実母がしていた食卓を再現できなければ、母として、女性として、失格のように思い込んでいました。

『家事はこうあるべき』っていう目に見えない“固定観念”、あなたにもありませんか??

自分で自分にかけた呪縛

夫がうつ病で苦しんでいる中でも、完璧な食卓を目指すことは手放せませんでした。

一日の中で唯一、家族みんなで過ごせる時間である夕食は絶対に良いものにしなければならないと、盲目的に思っていました。

ミールキットの宅配を利用して時短を図り、工夫したつもり、手抜きしたつもりでいました。

でも今になって思うと、切迫して鬼の形相で作った夕飯は、夫にとっても、子どもにとっても、果たして良いものであったのか……

私の“捨てられない先入観”が、結果的に自分だけでなく家族からも、心のゆとりを奪っていたのかもしれません。

洗濯さえもできない状況ってあるのか?

同じく、洗濯も毎日しなければならないと思い込んでいました。

病前は暗黙の約束という感じに、夫が担っていた洗濯。

夫ができない日が増え、子どもたちの寝かしつけの前に私が洗濯をするようになりました。

ぼんやりとリビングでTVを見ている夫にイライラしながら洗濯する日もありました。

「たった10分で終わる洗濯干しさえやってくれない」そんな気持ちになる日もありました。

『毎日洗わなくたって何日かに一回まとめてやればいい。』

当時の私はそんなふうに柔軟には思えず、「なんで私ばっかり」としか思えませんでした。

でも今思うと、「10分の洗濯干しさえ出来ないほど、夫は限界だったんだな」と理解できます。

周囲に助けを求められなかった背景

私の母は、とても不安が強く自己肯定感の低い人です。

父はそんな母をなだめることに終始し、昔から、子どもである私の気持ちは蔑ろになりがちでした。

夫の両親は高齢で、実家も距離があることや夫が頼りたがらないということもあり、どちらの両親にも病気のことは打ち明けられませんでした。

『何かあったら話してね』って、もしかして社交辞令だったのかな?

友人や職場の人達には少し話したこともありました。

特に職場の人達には迷惑をかけることもあったため、ちゃんと説明しておきたいとも思っていました。

でも、業務面で迷惑までかけているのに、その上私の愚痴や相談なんて話してはいけないと思っていました。

新型コロナの弊害

また、コロナ禍であったため、ちょっと気分転換にお茶に付き合ってもらう、ということもはばかられました。

夫と少し距離を取って互いに気分転換をすることも、気軽に出来るような社会情勢ではありませんでした。

次回のテーマ

こんな感じで、当時の私は、私なりに一生懸命生きていましたが、上手く力を抜いたりガス抜きすることはできていませんでした。

こうして書き出してみると、私の“先入観”や“固定観念”が随分と自分の首を絞めていたようにも思えます。

当時は自分の考え方を振り返るなんて思いつきもしなかったんですけどね⋯。

でも今は、こうして振り返って文章を書けるくらいには、客観的に考えられるようになってきました😊

みなさんは、夫婦の家事分担でモヤッとしたことありませんか?よかったらコメント欄で教えてください☺️

今日もここまで読んでくださってありがとうございます😊✨

次回は【家庭環境編2】ということで「支えたい気持ちと押しつぶされる心」というテーマで続きを書いていきます。

また少し重めな話になりますが、次回も読んでいただけたら嬉しいです🍀

ABOUT ME
fruitslover
はじめまして、fruitsloverです。 マスカット、桃、りんご…フルーツが大好き❤ブログ初心者ですが、新しいことを始めることにワクワクしています♪ 夫婦でうつ病と向き合いながら、日々の工夫や体験をブログにまとめていこうと思っています。同じ悩みをもつ方にとって、少しでも参考になれば幸いです。 あたたかく見守ってください。

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