こんにちは、fruitsloverです🥝
最近カフェなど外に出て記事を書いています。
仕事復帰はすぐには無理だけど少しずつ頭と体に刺激を、と出来るだけ家を出て過ごすようにしています。
家だとついついアマプラとか撮りためたドラマとか見たくなっちゃうから、ブログの記事作成を仕事に見立てて復職の練習です。
今日はファミレスに来たものの、フリーWiFiが上手く接続できなくて😭
スマホでは接続できるのにタブレットではインターネットに繋げられない⋯。
あまり機械に強くないので、こういうトラブルが起こると一気にやる気が削がれちゃいます⋯。
なんで“接続済”ってなってるのに繋がらないのさ!!!もーーーー!!!😭
さて、前回は夫のうつ病発症の頃を中心に整理しました。
今回はその続きで【第2回:支えたい気持ちと押しつぶされる心】というテーマです。
日々を何とか送りながら、心の揺れ・しんどさを抱えていた頃の話なので、思い出すと今でもあの頃の重たい気持ちが蘇ります。
「支えなきゃ」というプレッシャー
夫は休職してからも、しばらくは家事や子どもたちの相手が出来ませんでした。
かろうじて、夕飯だけは家族揃って食べるようにしてくれて、力ない笑顔を作りながら子どもたちの話を聞いてくれていました。
そんな夫を見ていると、自分のサポートが足りていないような気がして、何かしなければいけないように思っていました。
自分を後回しにする癖
その頃の私は、仕事、家事・育児、夫への気遣いと、もうすでに手一杯でした。
それでも上手く手抜きや簡略化が出来ないまま、ただただその日その日を乗り越えようとしていました。
苦しんでいる夫に遠慮してしまう
仕事が休みの日も、自分の予定を入れることが悪いことのように思えてしまっていました。
自分一人リフレッシュすると言ったら、夫はどう思うだろうと考えてしまい、自分のために時間を使うことが出来ませんでした。
また、「夫のほうが大変なんだから」とか、「私がストレスを抱えていると知られたら夫はまた自己否定的になってしまうかも」とか、言われてもいないことに怯えて、自分のための休日を過ごすことに罪悪感を持っていました。
子どもの習い事も休ませられない
「子どもたちの生活は通常通りでなければ」と、ここでも私の固定観念が発揮されてしまい、仕事終わりにバタバタと送迎に走っていました。
見兼ねたママ友(我が家の事情を話せた数少ない友人)が、「よその家のことに口出ししたくないけど、習い事多いよ!一時的に休会するとか考えてみたら?」とありがたい助言をくれましたが、それも受け入れることができず、困った顔をしてやり過ごしてしまいました。
家庭の緊急事態と割り切ってもよかった
今思えば、子どもたちだって家族の一員。
大切なパパの一大事なんだから、ちゃんと説明して一時的にでも習い事を休ませたりすれば良かったんですよね。
それに、自分の息抜きだって、それによってガソリンを補充して家族に還元できるのなら、ちゃんと休息時間を確保してよかったんだと思います。
「誰が見ても“家庭の緊急事態”なのだから、無理に普段通りを続けず、力を抜いてもいいんだよ」と、あの頃の私に教えてあげたい気持ちです。
報われない思いと積み重なる孤独感
前述したように、一人ですべてを抱えながら過ごす日々は、気を抜くと動けなくなってしまいそうで、一日中張り詰めたような感覚で生きていました。
夫に本音を出せなくなっていた
些細なことで夫と言い合いになったりすると、「誰のためにこんなに頑張ってると思ってるの?!」と言ってしまいたくなりました。
でも“うつ病患者”である夫に思いのまま感情をぶつける勇気はなく、モヤモヤと自分の胸にしまい込んでいました。
当たり障りのない会話のつもりが⋯
夕飯のときが唯一家族で和やかに話せる時間でした。
子どもたちが学校や保育園での出来事を話してくれて、大切な“健康的な時間”でした。
でも、夫に「今日はどんな事してたの?」とも聞けず(回復を期待されていると感じてプレッシャーになると言われたことがあったので⋯)、世間話のつもりで私も職場でのアレコレを話していました。
しかしある時、夫から「毎日職場の愚痴を聞くの、すごくしんどいのに頑張って聞いてるんだよ」と言われ、それからは何を話せばいいか分からなくなってしまいました。
噛み合わなさを感じつつも、改善方法は分からなかった
今振り返って思うのは、夫は夫で私の愚痴を何とか受け止めてあげようとしていて、私は私で会話のネタを提供しようとしていて⋯。
それぞれ、相方や家族を想ってしていたことも上手く噛み合わず、から回っていたようです。
この頃の噛み合わなさは、互いに本当にストレスでした。
暗闇をひとりで走り続けるような心細さ
夫の回復はゆっくりと、時間のかかるものでした。
夫のメンタルクリニック受診に私は立ち合っていなかったので、治療の進み具合や回復の程度など、指標となるものが何もなく、私にとっては、ゴールどころかコースが正しいのかさえ分からない持久走のような日々でした。
恩着せがましくなりたくないのに⋯
家族なのだから助けるのが当たり前だと、頭では思っていても、心では「〇〇してあげたのに⋯」「私はこんなに尽くしてるのに」と思ってしまう時も多々ありました。
そういう時は必ず、自分の心の狭さにがっかりして自己嫌悪するところまでがセットだったので、そういう思考パターンになるのにはうんざりしていました。
心が擦り切れて、ゆとりを失っていった
自己犠牲を重ね続けていた結果、いつの間にか“理解されない不満”に変わってしまう時もありました。
ある時は、夫が調子の良い日に、部屋の整理をしてくれていて、私が帰宅して早々「この段ボールの中のもの、要る?」と確認を求めてきたのがどうにも気に入らず、「私の大変さを分かってない!疲れて帰ってきてすぐに確認しろだなんて!!」とブチギレてしまいました。
ただ“私のタイミングじゃなかった”というだけの話なんですが、この程度のすれ違いさえ許容できなくなっていたんですね。
夫とのコミュニケーションの難しさ
最初のうちは、夫を傷つけないように、余計な心配をかけないようにと、頑張りすぎていたように思います。
働けていないことを後ろめたく思わせないように⋯。
家事ができていないことを責めていると思わせないように⋯。
子どもと十分関われていないことを申し訳ないと言わせないように⋯。
今思うと、腫れ物に触るようにビクビクして接していたようにも感じます。
感情をぶつけてしまうとき
それでも、どうしてもぶつかり合ってしまう時はありました。
もともと繊細な面がある夫。ぶつかり合いのあとは自室に籠もってしまい、夕食の席にもつかない時もありました。
そうなると結局、最悪のことを考えてしまったり、「子どもたちのお世話は当然のように私に託すのね!」と怒れてきたりと、自分の感情も入り混じって心が乱れてしまっていました。
本当は、感情をぶつけ合っても良いことなんてひとつもないことも分かっているのに、制御できない時も少なくありませんでした。
沈黙がつらいとき
逆に、夫の抑うつ期には表情も乏しくなって言葉数も減るので、怒っているのか落ち込んでいるのか、感情が読めなくてとても不安になりました。
生活リズムが違うため話すことがない時もあり、そんな時はちょっとの沈黙がすごく長く感じて苦痛でした。
ただ、今自分が同じうつ病になって思うのは、家族と話すことさえしんどい時だってある⋯ということを、もう少し理解してあげればよかったなということです。
沈黙は決して悪いことじゃないですもんね。
カウンセリングが進むことで変わっていった“夫婦の関係”
当時、夫と接する時間は全神経を集中して夫を観察していたように思います。
それが私の疲労や孤独感にも繋がっていったのではないかと、今は思います。
振り返れば、この頃は本当に息苦しい関係でした。
でも、こうした夫とのいびつな接し方・関係性は、カウンセリングが進んでいくにつれて大きく変わっていきました。
今はお互いにすごくリラックスして軽口を叩いたり出来るし、お互いの考え方や性格についても言葉で共有できるようになり、すごく楽になりました。
振り返ると、当時の私は必死すぎて見えないものも多かったけれど、今は“あの頃の自分”を抱きしめてあげたい気持ちです。
私はうつになってカウンセリングの効果や意味を、身を持って感じることが出来ています。
カウンセリングについても、またの機会でじっくりまとめたいと思っていますので、お楽しみに☆
今日もここまで読んでくださって、ありがとうございました。
次回は【第3回:家庭環境を見直すことで見えたもの】家庭環境編の最終話となります。
ぜひまた、お付き合いください。
