こんにちは、fruitsloverです🍎
最近はりんごが美味しい季節になりましたね〜♪
シャキシャキした硬めの食感が好きな私は、包丁を入れた瞬間から今日のりんごの当たりハズレを予想してルンルンです🥰
旬の時期のりんごはシャキッとして甘味とちょっとの酸味がバランス良いので、食べるだけで気分もちょっと上がります✨
今はいろんな品種のリンゴがありますが、私は”ふじ”が好きです♡
みなさんも、旬のりんごを楽しんでくださいね。
さて、今回から自分の性格や考え方がうつ発病にどう関連していったのかを整理していこうと思います。
【職場編】や【親との関係編】でも触れてきた私の完璧主義や「こうあるべき」思考。
今回は、それらを「性格」という視点で深掘りしていきます。
自分と向き合って、もっと肩の力を抜いて楽しく生きていくために。

完璧主義と「こうあるべき」思考の呪縛
私は完璧主義でした。
それと同時に、「こうあるべき」と自分にも他人にも厳しい側面がありました。
小さなミスも許せない性格
特に就職してからは、「お給料をもらう以上は完璧な仕事をしなきゃ!」「こんなミスをするなんてありえない!」と、常に自分の行動を律してきたと思います。
ミスが無いよう何度もチェックしたり、仕事の漏れがないようにいつも“やることリスト”を持ち歩いていたり。
【職場編】でも書きましたが、社会人になって10年以上も経つのに、肩の力を抜くポイントが分からなかったんだと思います。
この完璧主義がどのように生まれたのか、もう少し掘り下げてみようと思います。
完璧主義が生まれた背景
いつかの記事でも書いたように、両親から「小中学校の勉強は100点とって当たり前」という言い方をされてきました。
ですが、高校・大学の勉強にはあまり口出しされませんでした。(進学校だったし塾に通っていたので塾の講師に任せていた、のかもしれません。)
その結果、成績はガクンと落ちました。
単位を落として再履修することもありました。
このままじゃダメだと分かっていながらも、身が入っていなかった気がします。
完璧主義は「良いこと」だと思っていた
だからこそ、社会人になった私は“出来の悪かった自分を隠さなきゃ”“大人として躓かないようにしなきゃ”と強く思うようになっていました。
何でも完璧に出来れば、それが自分のためにも会社のためにもなるはず。
そう信じて気を張って頑張ってきました。

あなたも、こんな風に思ったことはありませんか?
私の“完璧主義”のように、あなたも頑張り過ぎや不安を消すための努力をしちゃっていませんか?
「これで大丈夫かな」と何度も確認してしまう
私は、自分に自信がないから、仕事中、何度も進捗状況を確認していました。
自分ひとりでは安心できなければ、先輩にダブルチェックをお願いしたりもしていました。
とにかく不安と自信のなさに支配されていました。
他人の「大丈夫だよ」が信じられない
そんな私を見て、先輩たちは「大丈夫、出来てるよ」と声をかけてくれました。
でもその言葉すらも素直に受け取れず、心のどこかではいつもビクビクしていました。
褒められても皮肉やお世辞なのかもと不安になるわ、何も言われないとそれはそれで相手からの評価が悪くなっていないか心配になるわで、自分でも厄介な性格だなと思います。
完璧じゃないと不安で仕方ない
今思えば、自分で自分を認められないからこそ、他人から完璧だと認めてもらうことに固執していたんだと思います。
「自分を認めるなんて向上心がないと思われるんじゃないか。」
「他人に認められて初めて“出来ている自分”になれるんじゃないか。」
「不安を消すために完璧な自分でいなきゃ。」
そうやって窮屈な型に自分をはめ込んでいっていました。

妥協が苦手で諦めが悪い
完璧主義が濃さを増していくにつれて、妥協や人に頼るという手段が苦手になっていきました。
「80点でいい」と言われても納得できない
職場でも家庭でも、手の抜けなさは変わりませんでした。
先輩たちの迷惑にならないようにしなきゃ。
良いママ、良い妻でいなきゃ。
100点を目指しているから、ちょっとでもミスがあると落第でもしたかのように落ち込んでいました。
妥協するって、悪いこと?
もちろん、時間もエネルギーも有限ですから、その時々で妥協する判断力は必要だと思います。
今はそう言えるけど、当時は妥協するということがまるで悪いことかのように思っていました。
だからどうしても、他人がさじを投げたような案件でも、諦めきれずに工夫や努力を重ねていました。
良く言えば粘り強い、悪く言えば融通が利かない
良いことと悪いことは、表裏一体です。
職場の同僚が「fruitsloverはいつも根気よく頑張っててすごいね」と褒めてくれることでも、私の中では手の引き時が分からないだけ、ということもよくありました。
今になって客観的に思うと、手を抜けるところはもっとたくさんあったと思いますが、当時はそれに気がつくこともありませんでした。

グレーゾーンが苦手だった
白黒思考になりやすいということを受け入れられたのは、カウンセリングに通うようになってからです。
それまでは自覚が無かったように思います。
「完璧」か「ダメ」かの二択
でも、私の中では常に二択しかありませんでした。
「このくらいで合格かな」と、区切りをつけることが苦手で、いつも全力で取り組まなきゃと思っていました。
分からないことを分からないと認めるのも苦手でした。
中間がない、0か100かの思考
私だけじゃなく、そういう“中間のない思考”の人は、きっと他にもいらっしゃるんじゃないでしょうか。
これは、人間関係においても、仕事においても、家庭でも、本当に色んな場面で顔を出す思考の癖ですよね。
白黒思考が自分を苦しめた
当時は自覚できていなかったけど、この白黒思考は、私を追い込んでいった一つの要素だと今は思っています。
もっと幅があっていいんだ。
完璧かダメかじゃなくて、色んな視点があるんだ。
今はそう思えるようになってきたと思います。
⋯そうは言っても白黒思考が顔を出す時はあるので、実際には“そのたびに、気づいては立ち返る”という感じです。

「こうあるべき」思考が強かった
白黒思考や完璧主義と同じように、私は「こうあるべき」思考がとても強いようです。
「母はこうあるべき」「妻はこうあるべき」
時代背景も生活スタイルも全然違うのに、母をモデルにして母のやり方を遵守しようとしていました。
正職員でフルタイム勤務したうえで、子育てをする。
その大変さは身を持って分かっているのに、「母はこうあるべき」「これは妻の役割」と自分で作った縛りから抜け出せなくなっていました。
女の役割という古い価値観
育ってきた環境や祖母・母の価値観から、「女の役割は私が果たさなきゃ」と思い込んでいました。
今の家族は夫と私と子どもたち、のはずなのに。
無意識に母のようにしなきゃと自分を縛り付けていました。
理想と現実のギャップに苦しんだ
私の思い込みで描いた理想と現実には、当然ですが、ギャップが生まれます。
そのギャップがどうしたら埋まるのかもよく分からず、たどり着いたのは「頑張ってやるしかない」という誤った答えでした。

完璧主義の「良い面」も認めたい
ここまで散々“完璧主義”を否定してきましたが、もちろん完璧主義の良い点もあると思います。
次は、完璧主義の良い面も整理してみます。
物事のいい面悪い面をバランスよく見る練習と思って。
丁寧で質の高い仕事ができた
自分で言うのもなんですが、完璧主義だからこそ、仕事は丁寧にやってこれたと思っています。
(仕事で頑張りすぎた結果、帰宅後の家族の時間にぐったりしてたりと、バランスは確かに良くなかったですが😅)
最後までやり遂げる粘り強さ
また、諦めずに最後まで何とかやり遂げるとか、期日に間に合うように徹底的に計画立てて遂行する、という点も、性格が良い方向に表れた点かなと思います。
大切なのはバランス
自分の良いところを認めるのはあまり得意じゃないけれど、出来るだけ丁寧に真摯に仕事と向き合おうとしてきました。
今までは頑張ることに心血を注ぎすぎていたので、今後は“自分の中のバランスを見ながら働く”ということを大切にしていこうと思います。

今、完璧主義で苦しんでいるあなたへ
今日もここまで読んでくださってありがとうございます。
完璧主義で苦しんでいる方、私と似た悩みを持つ方へ、少しでも参考になれば嬉しいです。
完璧じゃなくても、価値がある
カウンセリングでたどり着いたことのひとつに、“完璧じゃない私にも価値はある”ということがあります。
完璧じゃなくても、うまく出来ないことがあっても、大丈夫。
誰かに助けてもらったり、何かを手放したりすることは、勇気のいることかもしれません。
でも、それで自分の肩の力が抜けるなら、頑張りすぎる自分から一歩抜け出せるなら、そういうのも選択肢のひとつにしても良いと思いますよ。
少しだけ「まぁいいか」と思ってみる練習
私は今、“頑張りすぎない”の練習中です。
皆さんも一緒に、「まぁいいか」「上出来!」と、自分を認める練習をしてみませんか?
それでは、また次の記事でお会いできますように😊
