こんにちは、fruitsloverです🍌
私は甘い物や果物が好きなんですが。
私の中では、
「スーパーで買うプチスイーツ < コンビニスイーツ < ケーキ屋さん」と、
スイーツ購入へのハードルが決まっています。
コンビニスイーツも、世間一般のみなさんが思う以上に、私にはハードルが高いです笑
でもですね、昨日はとっても機嫌が悪かったので、「もうこれはコンビニスイーツ買ってもいい案件だ!」と勢い任せにローソンへ入ったわけです。
そこで、“ほろふわ栗粉のダブルフロマージュ“に出会いまして⋯(しかも100円引きシール付き!)
結果、大正解でした♡スイーツは正義!!
あのまま帰っていたら子どもたちに八つ当たりしちゃっていたかも⋯
そう思うと、駆け込み寺ならぬ駆け込みコンビニスイーツ、良いです✨
ちょっとコンビニのハードルが下がったよ♡っていう報告でした😚
さて、前回は職場の人間関係を良くしようと奮闘していたお話を書きました。
今回は、仕事でのストレスが知らない間に家庭生活にも影響していた、という点をまとめていきます。
夫とのコミュニケーションのすれ違い
休職中の夫は、なかなか意欲が戻らず、家で鬱々と過ごしていました。
夫を家に一人残して勤務するのが、不安な日もありました。
だから、家族が揃う夕飯の時間は、夫の調子をみる大切な機会でもありました。
(夫のうつ病発症から1年近く経っており、夕飯を作るのは夫の仕事になりつつある時期でした。夕飯のメニューで、夫のメンタルの状態が分かる日もありました。)
「当たり障りない話題提供」のつもりだった仕事の愚痴
夫はすでに、なかなか回復しない代わり映えのない時間を過ごすことに、うんざりしていました。
だから「体調どう?」と聞くのも、回復を急かしているようで気が引けました。
普段から子どもや仕事の話が会話の中心だったこともあり、ついつい仕事の話になりがちでした。
でも、私の仕事が順調だと、それもプレッシャーになるのかな⋯?とも思い、話題選びにはいつも頭を悩ませていました。
仕事の愚痴なら、適当に聞き流せるしプレッシャーにもならないだろう、と思っていました。
夫にとっては苦痛だった夕飯時の会話
しかし、話題の内容に関わらず“会話”そのものが当時の夫には苦しかったようでした。
特に、夕飯を配膳したり仕上げの調理をしている時に、横から話しかけられるのはとてもしんどかったそうです。
子どもたちを心配させないよう、学校や保育園での話は頑張って聞いていたそうですが、私の仕事の話は聞いていてとても疲れたようでした。
「頑張って作った夕飯を美味しそうに食べてくれない」⋯夫の本音
私が“仕事の愚痴を吐き出している”と感じていた夫には、私がごはんを美味しそうに食べていないように映っていたそうです。
「せっかく作った料理を味わう様子もなく、愚痴ばかり聞かされる⋯。」
ケンカした日に夫から本音を聞いた時には、大きな鉄球で殴られたようなショックを受けたのを覚えています。
___「私も話題選んだり、沈黙ばかりにならないように気をつけたり、気配りしてたのに⋯」と、悲しくも苦しくもありました。
噛み合わなかった夫婦のコミュニケーション
夫にはうつ病のために心のゆとりがなく、私にはワンオペ育児や仕事など時間のゆとりもなかった。
そのため、互いに「こんなに頑張ってるのに!」と不満やイライラが募っていました。
___「相手のために少しでも⋯」と頑張ることで、自分の中の“最後のゆとり”を自分で潰していたんだと思います。
大切なのは話題提供ではなく、“夕食を一緒に味わう”というとてもシンプルなことだったのに⋯。
後輩のケアを「役割」と感じてしまった私
以前にも書きましたが、家で気持ちが安らげないことで、私は日中、仕事に集中することで気持ちを保とうとしていました。
知らず知らず、職場での自分のテリトリーをより良いものにしようと、力が入りすぎていたのかもしれません。
年下の子たちの悩みや不和に触れてしまうと、放っておけずに「私が何とかしてあげなくちゃ」と思ってしまっていました。
仕事終わりの相談や落ち込む後輩を放っておけない
私がまだ新人の頃、定時きっかりに仕事を終えて颯爽と帰っていく先輩ママさんがいました。
・・・当時の私には、そんな風に線引きする決断はできませんでした。
相談されたり、落ち込んでいる後輩を見てしまうと、「あと15分なら⋯」と、ズルズルと付き合ってしまっていました。
___学童や保育園では子どもたちが待っているというのに、後輩のケアを区切る勇気がありませんでした。
退職していく後輩たちを見て感じた使命感
業務内容や上司との確執など、退職者にはそれぞれの事情があります。
でも、誰かが去るたび、「残された子たちも負担を感じているのではないか」
「この子達にもケアが必要なんじゃないか」と、過剰に心配していました。
オフの日まで後輩に時間を割くようになった経緯
退勤時からお迎えまでの僅かな時間ではフォローしきれていないと感じた時には、夜にLINEをしたり、休日にランチに誘ったりもしました。
「自分が若い頃は先輩たちにご飯連れてってもらって愚痴を聞いてもらってた」
「遊びに連れてってもらって気晴らしをして、翌週の仕事が頑張れた」
そういう昔の記憶の中の“してもらった経験”を、私もしなければいけないと思っていました。
___じゃあ、その当時の先輩たちはうつ病のパートナーがいた?手のかかる小さい子どもがいた??
今思えば、同じ状況でもないのに、過去の一面だけを切り取って“してもらった経験”を還元しようと、必死になっていたように思います。
誰に言われたわけでもない「役割」を背負ってしまった
こうして、私は自分の仕事だけでなく、現場の不調和を和らげたり後輩のフォローをしたりと、自ら役割を背負っていきました。
___もしかしたら、心のどこかで、“子育てや家庭での上手くいかなさから目を背けたい”という気持ちもあったのかもしれません。
でも、当時の私は、そういう自分の気持ちを直視できずに、分かりやすく目に付く“後輩のケア”をすることに躍起になっていたのかもしれません。
演じ続けた「良い私」がメンタルを蝕んだ
誰でも、人から良い人に見られたいですよね。
でも、当時の私は、家庭でも職場でも「良い私」を演じようと必死でした。
いつ、どんな場面でも、笑顔の仮面を外せなくなった
夫がダウンしているんだから、私はパパの分まで良いママでいなきゃ。
夫が苦しんでいる時には、理解のある妻として支えてあげなきゃ。
職場では異動後だろうが一人前に機能しなくちゃ。
後輩には良い先輩として支えになってあげなきゃ。
___いつの間にか、『〜〜しなきゃ』でがんじがらめになって、本当の自分が何を感じているのか、分からなくなっていきました。
自分のメンタルがボロボロになっていることから目を逸らし続けた
出勤前とお迎え前、車のルームミラーを見ながらやっていたことがあります。
口角を上げて一呼吸。
そうやって、ぐっと気合を入れて笑顔を保ち、無理やり走り続けていました。
鏡には自分の気持ちは映らないからと、自分の気持ちと向き合うことを避け続けていきました。
追い詰められていくと視野は狭くなる
今、当時のメモを見ながらこの記事を書いています。
当時の手帳には、いろんな本に書かれていた前向きな言葉や気分転換の方法がたくさん書いてありました。
⋯驚いたことに、弱音や疲労感などはまったく書いてありませんでした。
前向きな言葉や無理やり作った笑顔を重ね続けて、自分の本当の気持ちを直視せずに走り続けていたんです。
___今となっては、別の選択肢を思いつかなかったのか、そうするしかないと思っていたのか、わかりません。
でも、こうやって自分を追い込んで、どんどん視野が狭くなっていったんだと、今改めて気が付きました。
次回のテーマ
みなさん今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今日は、当時の自分の“ぎゅうっと狭くなった視野”が思い出されて、記事を書きながら少しめまいがしました。
みなさんは、頑張りすぎていませんか?
自分の本当の気持ち、ちゃんと感じられていますか?
立ち止まってもいいし、休んだっていいんです。
自分を大切に出来るのは、自分自身です。
休んで、ほっと一息ついたあと、別の選択肢がないか、ゆっくり見渡してみてください。
視野を広げれば、持てる選択肢はきっと他にも見つかります。
次回は、職場で限界を迎えた話。 【職場編】の最終回です。
今日も頑張っているみなさん、今日はあったかいミルクティーでも飲みながら、少し休んでみてくださいね。
