うつ病体験談

限界を超えた瞬間【職場編4】

こんにちは、fruitsloverです🍐

最近は朝晩少し涼しくなってきましたね。

寒がりな私は、布団から出にくくなってきました🥺

自分ももう少し寝てたいけど、子どもたちを送り出すためには起きねば!

我が家の男の子達はまだまだ甘えん坊さんなので、「ママ寒い〜」と言うと、ピトッとくっついてきてくれます☺️

いつまでも可愛い⋯♡こういうちょっとした時間が幸せです🥰

さて、前回は職場でのストレスが徐々に家庭生活にも影響していった様子をお伝えしました。

今回は【職場編】の最終話となります。

うつ病の症状を少しずつ自覚していった体験を整理していきます。

Contents
  1. 少しずつ現れていた体からのサイン
  2. 最後の引き金となった出来事
  3. 自分の限界に気づかないようにした
  4. 当時できなかった「相談」という選択肢
  5. 今だから言える「やっておけばよかったこと」
  6. 今、頑張っているあなたへ伝えたいこと
  7. ここまでを振り返って・・・

少しずつ現れていた体からのサイン

夫がうつ病となって休職してから、1年以上が経過していました。

夕飯作りは夫におまかせしていましたが、子どもの送迎や習い事、仕事など、相変わらず自転車操業で何とか生活していました。

そんななか、私の体にも徐々に変化が出始めていました。

熟睡できない日々

最初に自覚したのは、眠気の強さでした。

夫は調子を崩すと自室に籠もってしまい様子が分からなくなってしまいます。

それでも何とか様子を把握したくて、夜も夫の動く音や部屋から漏れる光などを見て生存確認をしようとしていました。

そのため、自分自身も眠りが浅かったり途中で目が覚めてしまったりと、熟睡できない日が増えていきました。

当然日中、仕事していても疲れを感じ眠くなることもありました。

仕事中のうっかりミスが増える

どんなに気をつけているつもりでも、道具の準備忘れや注意散漫さが増えました。

自分でもミスが増えていることが怖くなり、同僚や後輩にフォローしてほしいことやダブルチェックをしてもらいたいなど、お願いしていたくらいでした。

頭が働いていない感覚

次に困ったのは、自分の頭が全然働いていない感覚でした。

最初は眠気のせいで集中できてないからだろうと思っていましたが、考えがまとまらなかったり段取りよく物事を進められなかったりと、普段できていたことがうまくできなくなりました。

自分の頭が自分でコントロールできていないような感覚には、とても困惑しました。

食欲がなく、味覚を楽しめない

食欲がない感じもありましたが、無理やり食べるようにしていました。

でも、味を感じられなくて何を食べたかが記憶に残らない感覚がありました。

甘い物を食べて元気と糖をチャージ!と間食もしていましたが、食べても満たされる感覚になれませんでした

回転性のめまいや吐き気、体中が重だるく感じる

最初に異変に気づいてからひと月ほどの間に、症状は少しずつ増えていきました。

最後の方は、車の運転中や仕事中にもめまいや吐き気、体の痛みや重だるさを感じるようになりました。

___それだけいくつも症状を感じていても、すべて寝不足のせいだと決めつけて、受診を考えることもしませんでした。

最後の引き金となった出来事

自分の状態の悪さを感じながらも、必死に日常生活を送っていました。

そんなギリギリの状態で過ごす中、職場でのある出来事が私の心のバランスを完全に崩すことにつながっていきました。

体調不良による同僚の退職

同僚の一人が体調不良により、仕事を辞めることになってしまいました。

これは致し方ないことなので、同僚の体を心配しつつ、動揺しすぎず平常運転を続けようと思っていました。

仕事の穴埋めについての上司の判断

仕事は、誰かが欠ければ誰かがその穴を埋めなくてはいけません。

私は退職した人と一緒に組んでいた仕事もあったので、何かしらのフォローをしていくことは予測していました。

しかし、上司から告げられたのは、「その人の仕事を全面的に任せる」という指示でした。

___もちろん、「すべてを同じボリュームで続けることは無理なので、取捨選択して出来る形で引き受ける」という意味でした。

でも、たとえそうであっても、この時の私にはもう仕事を取捨選択する判断力も余力も、残っていませんでした。

「期待に応えなければ」異論を唱えられなかった理由

異動して、やっと自分の仕事を覚えてきたところなのに、ここに上乗せか⋯。

上司の指示を聞いてめまいを感じました。

それでも、「上司が総合的に判断したなら、私がやるしかないってことだな」と、無理やり自分を納得させました

___今思えば、“出来る形で引き受ける”ということなら、私でなくてもきっと他の誰かでもできたと思います。

他ならぬ上司自身も、引き受けることが出来たんじゃないか、とさえ思います。

でも、当時の私にはもう多面的に考える余力はなく、上司に意見するエネルギーもありませんでした。

倒れる日まで必死だった私と曖昧な記憶

そこからは、職場で倒れたあの日まで、私はひたすら日々の業務をこなしました。

考えない・立ち止まらない・振り返らない⋯そうすれば、その日その日の仕事は何とか出来たから。

___この頃の記憶は、本当に曖昧です。

ただ、毎日のように、目が回るとか息苦しいとか立ち眩みがするとか、いろんな症状が出ていました。

自分の限界に気づかないようにした

もともと、誰かの悩みを聞くことは多かった気がします。

そんなとき、「無理しないで」「しんどい時は言ってね」と声をかけていました。

___でも、自分に対しては、「まだ限界じゃない」「あと2日頑張れば休みだから踏ん張ろう」と、鞭打つ言葉しか浮かんでこなかったです。

「しんどい」と思うたびに気持ちを切り替えていた

実際、症状は日に日に増えていき、実感もしていたはずなのです。

でも、仕事を引き受けたこともあり、簡単に“休む”という選択は出来ませんでした

私が休めば、また他の誰かにしわ寄せが行く。

だから、“症状を感じても気持ちを無理やり切り替えて乗り切る”という選択になったんだと思います。

気づかなかったのか、見ないようにしていたのか

そのうち、突然泣けてきたり過呼吸のようにうまく呼吸ができなくなったりしました。

だから。

・・・そうですね、「気づかなかった」のではなく、「見ないふりをした」のだと思います。

___私の中の“私”が、何度もSOSを出していたけれど、私はそれを無視し続けてしまったんです。

朝が来れば出勤を繰り返す日々

でも、そうすることしか、日々を回し続けることしか、できなかったんです。

止まり方も、休み方も、誰かに助けを求める方法も、私には分かりませんでした。

___もう、この頃には、その方法を調べたり考えたりする力は残っていませんでした。

当時できなかった「相談」という選択肢

今こうして冷静に振り返ると、当時の私には“相談”というものが選択肢に無かったように思います。

「愚痴を言っても状況は変わらない」と決めつけていたような気がします。

状況は報告していたのに伝わっていなかった私のつらさ

なぜ、相談=愚痴だと思っていたのか⋯。

それは、上司には家庭の状況や異動後の大変さ、仕事の難しさを話していたからです。

話していたからこそ、「上司は、私の状況をわかったうえで指示している」と決めつけていました

職場では負の感情を出したくなかった

また、就職してからこれまで「人それぞれ、大なり小なり大変さを抱えている」と思っていました。

だから、「職場で弱音を吐くのは最小限にしよう」と、自分に決めていたという背景もありました。

___就職当初から⋯つまり、独身で自分のことだけ考えれば良かった頃からの、“ただの名残り”だったのに・・・。

その、更新されていなかった自分のポリシーも、自分を締め付けていた一つの要因だったんですね。

等身大の自分を出すのが怖かった

異動を経て、何人もの後輩と触れることになったことも私の価値観を狭めていました。

後輩たちが上司の愚痴を言うのを聞いてあげることが増え、次第に、「私はがっかりさせたくない」と思うようになりました。

その思いが、弱い自分や本当の自分を見せられないことに繋がっていったようにも思います。

今だから言える「やっておけばよかったこと」

こうして書き出してみると、当時は気づけなかった“別の方法”がいくつも見えてきました。

「自分の代わりはいくらでもいる」を受け入れられなかった

当時は異動後ということや後輩たちができたこともあり、ずっと気を張っていました。

また、辞めていく後輩たちを見送りながら、「自分が抜けたら周りが困る」と強く感じていました。

仕事を休んで1年以上が経ってやっと、「自分の代わりはいる」という事実を受け入れられました。

「仕事の代わりはいるけど、お母さんの代わりはいない」

そして、「お母さんの代わりはいない」ということも、やっと認識できました。

言葉としては分かっていましたが、体感が伴ったのは休職してから。

この言葉をもっとちゃんと理解できていれば、仕事ではなく子育てに使うエネルギーをもっと確保できていたのかもしれません。

家庭での役割は替えの利かない唯一無二のもの

妻として、そして母としての“私”が、一番替えがきかない。

そのことをちゃんと認識して、休むべき時は仕事を休んでいればよかったと思います。

仕事を休む自分を、許していればよかったと思います。

無理なことは無理だと、正直に言葉にすればよかった

また、もっと正直に、“今の自分の限界”を言葉にして伝える努力をしなければいけなかった。

「上司だから分かってくれているはず」という間違った期待と、「頼ってもらえる先輩にならなきゃ」という背伸びを、もっと早く手放せばよかった。

今こうして気づけた、客観的な自分の姿を、ちゃんと心に刻んでおきたいと思います。

今、頑張っているあなたへ伝えたいこと

このブログを読んでくださっているあなたは、もしかして、私と同じように困ったり迷ったりしていませんか?

そんなあなたには、私と同じ道は歩んでほしくありません。

自分を大切にする方法を見つけてほしい

まずはぜひ、自分を大切にする方法を考えてみてください。

世界でたったひとりの自分。

その自分を一番大切に出来るのも、自分です。

いつも誰かを優先してつい後回しになってしまう自分を、今日からは最優先で大事にしてあげてください。

癒やす時間を確保することの大切さ

そのためには、自分を大切にするための時間を作ることをおすすめします。

もともと頑張りすぎちゃう人ほど、意識して時間を作りましょう。

お風呂にゆっくり浸かるのも良いですし、コンビニでスイーツを食べてから帰宅するのでもいい。

自分がふわっと力が抜ける時間を日々の生活に取り入れていきましょう。

ここまでを振り返って・・・

職場編、長くなってしまいました😅

それだけ、当時の私にとって“職場での私”を守ることの意味が大きかったのかなと思います。

でも、休職して時間が経った今思うのは、命を削ってまで頑張る必要があったのかな?という疑問です。

私が休んだ穴を埋めるため、同僚たちはきっと大変な思いもしたと思います。

それでも、会社が潰れるわけでもなく、今もそれなりに成り立っている。

「自分がいなくても、世界は回っていく。

それは悲しいことじゃなくて、むしろ安心できることなんだな」と、認めることが出来たとき、やっと心が少し軽くなりました😌

私の体験が、今悩んでいる誰かの心の鎖を緩めるきっかけになれたら嬉しいです🍀

ABOUT ME
fruitslover
はじめまして、fruitsloverです。 マスカット、桃、りんご…フルーツが大好き❤ブログ初心者ですが、新しいことを始めることにワクワクしています♪ 夫婦でうつ病と向き合いながら、日々の工夫や体験をブログにまとめていこうと思っています。同じ悩みをもつ方にとって、少しでも参考になれば幸いです。 あたたかく見守ってください。

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